私が住んでいる古いアパートの隣室には、いわゆるゴミ屋敷の住人と揶揄される初老の男性が住んでいました。近隣にゴミ屋敷が存在する場合、周辺住民との間に激しい対立が生じることがあります。最初はその異変に気づきませんでした。ただ、玄関の前に少しずつ段ボールや雑誌が積まれていくのを、忙しい生活の中で見過ごしていただけでした。しかし、季節が巡り夏が訪れると、廊下に漂う独特の酸っぱい臭いが無視できないレベルにまで達しました。住人の男性は、夜遅くに帰宅しては、カサカサという音を立ててビニール袋を運び込む生活を続けていました。昼間に見かける彼は、いつも使い古したコートを着て、どこか申し訳なさそうに視線を落として歩く、物静かな人物でした。怒鳴り声を上げるわけでもなく、周囲を威嚇するわけでもない彼の姿を見て、私は怒りよりも先に言いようのない不安を感じるようになりました。ゴミ屋敷の住人というレッテルを貼って批判するのは簡単ですが、彼をそこまで追い詰めたものは一体何だったのでしょうか。ある日、廊下で鉢合わせた際に思い切って挨拶をしてみると、彼は一瞬驚いたような顔をしましたが、小さな声で丁寧に応えてくれました。その反応は、世間でイメージされる粗暴な住人像とは程遠いものでした。彼と少しずつ会話を交わすようになると、かつては一流の技術職として働いていたことや、妻に先立たれてから家の中を整える気力が失せてしまったことが分かってきました。物が溢れているのは、彼にとっての防護壁であり、孤独から自分を守るための精一杯の手段だったのです。行政や清掃業者が介入し、山のようなゴミが運び出された後、彼は凭れていた杖をなくしたかのようにひどく老け込んで見えました。物理的な空間が綺麗になっても、彼の心の中にある空洞が埋まったわけではありません。ゴミ屋敷の住人を支えるということは、単に部屋を片付けることではなく、その人が再び自分の足で歩き出せるように、心の片付けを手伝うことなのだと痛感しました。
隣家のゴミ屋敷住人を見守り続けた日々の記録