私の部屋がゴミ屋敷と呼ばれる状態になってから、最初に失われた生活習慣は「料理」でした。かつては週末に常備菜を作り、友人を招いて手料理を振る舞うことが最大の楽しみでしたが、仕事のストレスと蓄積された疲労によって、台所のシンクに洗い物が溜まり始めたのが崩壊の序曲でした。最初は数枚の皿だったものが、いつしか調理台を埋め尽くし、コンロの上には数週間前の鍋が放置されるようになりました。そうなると、もはや新しい料理を作るスペースなどどこにもありません。ゴミ屋敷の住人にとって、キッチンは最も絶望を感じる場所へと変貌します。私は、腐敗した食材の放つ異臭から逃れるように、台所に立ち入ることをやめ、すべての食事をコンビニの弁当やカップ麺で済ませるようになりました。しかし、食べ終えた容器を捨てる場所さえもゴミで埋まっていくため、部屋全体の汚染はさらに加速しました。ゴミ屋敷で料理をしようとすること、それは一種の「執着」でもありました。せめて一食くらいは自炊をしたいという淡い願いを持って包丁を手に取ったこともありましたが、ホコリの舞う空気の中で食材を切ることに強い嫌悪感を覚え、結局は手を止めてしまいました。台所という場所は、自分自身を大切に扱っているかどうかが最も顕著に現れる鏡のような場所です。そこがゴミに占拠されているということは、私が自分自身の健康や生命を投げ出していることの証明でもありました。清掃業者を呼び、山のようなゴミと化石化した食品を撤去してもらった後、最初に行ったのはシンクを磨き上げることでした。数年ぶりに輝きを取り戻した蛇口から出る水を見て、私は自分の人生をやり直せるという確信を得ました。料理を再開することは、私にとって自分を愛し直すためのリハビリテーションでした。今は、何もない清潔な調理台で、シンプルなサラダを作るだけで、かつてないほどの充足感を感じます。ゴミ屋敷での食事は、ただ腹を膨らませるだけの作業でしたが、清潔なキッチンでの料理は、心を満たすための大切な儀式です。私は二度と、あの不衛生な闇の中で包丁を握ることはないでしょう。
私がゴミ屋敷の台所で包丁を握ることをやめた理由