キラキラとしたカフェの写真、流行のファッション、充実した週末。私のインスタグラムのアカウントは、誰もが羨むような「理想の二十代女性」の姿で溢れています。フォロワーは数万人を超え、毎日届く賞賛のコメントが私の自尊心を支えていました。しかし、その写真を投稿している指先が触れているのは、一週間前に食べたカップ麺の残り汁がこびりついたテーブルの上です。私の本当の姿は、足の踏み場もない汚部屋の中で、ゴミの隙間に敷いた布団に丸まって眠る「ゴミ屋敷の住人」でした。いつからこうなってしまったのか、自分でも正確には思い出せません。新卒で入った会社でのパワハラ、人間関係の悩み、それらから目を背けるために、私はSNSの世界に没入していきました。現実の部屋が汚れれば汚れるほど、仮想空間の中の自分を美しく飾ることに執着したのです。綺麗な写真を撮るために、部屋の一角だけを無理やり片付け、そこに白い布を敷いて「丁寧な暮らし」を演出する。その一瞬が過ぎれば、また元のゴミの海に飲み込まれる。そんな嘘を重ねる毎日は、少しずつ私の心を削り取っていきました。ゴミを出すのが怖くなったのは、近所の人に「あの子、いつもお洒落なのに家からは大量のゴミを出している」と思われたくないという、歪んだ自意識のせいでした。そうしてゴミは溜まり続け、やがて異臭を放ち、虫が湧き、私は自分の部屋に帰るのが怖くなりました。それなのに、外では何事もなかったかのように笑い、高価なランチの写真をアップし続ける。この二重生活の限界は、突然訪れました。不注意でゴミの山を崩してしまったとき、その下から出てきたのは、数年前の誕生日に友人からもらった、すっかりカビの生えたプレゼントでした。それを見た瞬間、私は自分の人生が、嘘とゴミの中に埋もれて死んでいることに気づき、声を上げて泣き出しました。自分を大切にできない人間が、どうして他人から愛されることを望めるのでしょうか。私は翌日、震える手で専門の清掃業者に電話をかけました。恥ずかしさで死にそうでしたが、スタッフの方は「あなたは悪くない、ただ少し疲れすぎただけです」と言ってくれました。すべてのゴミが運び出され、ガランとした部屋に朝日が差し込んだとき、私は数年ぶりに本当の意味で呼吸ができた気がしました。SNSのフィルターを通さない、本当の私の人生は、ここから始まるのだと信じています。
SNSに映らない私の真実とゴミの山の中で流した涙