都市部における居住環境の悪化を調査した最近の事例研究によれば、汚部屋化の進行プロセスには共通のパターンがあり、その深刻度を測るための新たな基準が提唱されています。研究対象となった三十代から五十代の単身世帯の事例では、多くの場合、仕事の激務や人間関係のストレスによる「セルフネグレクト」の兆候が、部屋の状態に如実に反映されていました。ある事例では、かつては几帳面だった女性が、親との死別をきっかけに片付けの意欲を失い、一年足らずで足の踏み場もない汚部屋へと変貌しました。この事例における深刻度の基準となったのは、物の量そのものではなく「廃棄物の種類」でした。通常の散らかった部屋であれば、衣類や本といった、本来は所有物であるものが乱れているだけですが、深刻な汚部屋では、コンビニ弁当の空き容器や使用済みのティッシュといった、明らかな廃棄物が生活空間の大部分を占拠し、それらが「地層」のように圧縮されていました。研究者たちは、この状態を「生活動線の消失」と定義し、居住者が部屋の中を移動するために特定の踏み場を移動する「ケモノ道」ができていることを、重症度の高い基準として位置づけました。また、別の事例研究では、高学歴で高収入の専門職であっても汚部屋に陥るケースが報告されており、ここでは「情報の過積載」が基準となりました。溢れかえる専門書や未開封の資料、そして古いガジェット類が、床のみならず寝具の上まで侵食し、睡眠の質を著しく低下させていました。このケースでは、本人はそれを「必要な資料」と主張していましたが、実際には数年間一度も触れられていないものが大半であり、心理的な執着と認知の歪みが、物理的な基準を曖昧にさせていることが浮き彫りになりました。これらの事例から導き出される汚部屋の客観的な基準は、第一に「避難経路が確保されているか」、第二に「害虫や悪臭が外部に漏れ出していないか」、そして第三に「居住者が自己の環境を客観視できているか」という三点に集約されます。特に第三の基準は重要で、部屋の惨状を目の前にしても「自分はまだ大丈夫だ」と現実を否定し続ける認知の麻痺は、専門的な治療や介入が必要なレベルに達していることを示唆しています。事例研究は、汚部屋が単なる性格の問題ではなく、現代社会が抱える孤独やストレスの噴出口であることを証明しています。基準を設けることは、これら困難な状況にある人々を早期に発見し、適切な支援の手を差し伸べるための科学的な枠組みを提供することに他ならないのです。
事例研究から見る汚部屋の深刻度と基準